町おこしって何だろう。誰もが同じ間違いをおかしてしまうのか?

町での商売は、後継ぎがいるか、いないか、で大きく変わる。

田舎の商売は自宅兼商店だったり、自宅兼工場だったりする。
そうすると、後継ぎがいないと、やがて無敵状態がやってくる。
「家賃なし年金あり」ってやつだ。

無敵になって後継ぎがいなかったら、何を無理する理由があろうか。
無いよな・・・

昔からの顧客と一緒に年をとり徐々に死んでいければいいさ。
だんだんと枯れていくように。

こうした、後継ぎなし層と、若い後継ぎ層は、どうしたって噛み合わない。

後継ぎの若い世代は、こう思っているんじゃないかな。
「どうして協力してくれる人がすくないのか」って。
熱く語っても、微妙な空気が残るばかりの話し合いとかさ。
人は未来に希望がもてなければ新しい取り組みはしない。
もう穏便に何事もなくフェイドアウトしたい状態の人には何をいってもむなしい。

数年前に後継ぎの若者たちが集まって「付知銀座会」活動を始めた。
補助金の後押しもあり、イベント開催などに取り組みだした。
その様子は、昔若かった商売人達には、心痛く見えたかもしれない。
少なくとも僕は「またか」と思ってしまった。

僕も若いころに、やっちゃった経験があるから。

店から出て、自店売上を作れないようなイベントに何の意味がある?
イベントに来たお客が、店内に入らないようなイベントは、店を殺していく。

彼らをバカにしているわけじゃない。
僕だって昔やって挫折した同じ道だ。
その道の先は行きどまりだよと言っても、彼らには意地悪にしか聞こえないだろから、言わなかったけれど。

どうして、いつも同じ間違いをしてしまうのか?
世代が変わっても同じなのはどうしてか。

その彼らと少し話をした。
付知銀座会は全部で5人だという。

え?5人?

・・・僕が取り組んでいた頃は、もっと人数がいた。
そうか、たった5人で、アレに立ち向かっているんだな。
あの、どうしようもない閉塞感と、見えない壁が壊せない苛立ちと。

嫁さんは他所からもらったから、この町に来て良かったって思ってほしいらしい。
冗談ではなく、結婚しても何もない町は嫌だと離婚になる話は実際にある。

・・・彼らの為に、僕は何か出来るだろうか?
僕が出来るのは、自分の体験からわかる商売の仕方を伝えることくらいだ。
自分の町を変えることをあきらめて、外で仕事をして分かったこともある。
住民から応援される店になれば、商売人が町を変えることが出来る。

多少なりとも年寄りに近い僕には、彼らが昔の僕に思えてきた。
彼らの活動に参加せず、外から見ていて、手詰まり感が見えてきた。
だったら、みんなで勉強会を始めようと誘ってみようか。
何かに取組んでいるときは、誰が何を言っても聞かないものだ。
それが分かるくらいには年を取った。
でも、商売はそれぞれが頑張るものだから、僕が何か出来るわけじゃない。
ただ、あの頃の自分に教えたいことを、彼らに伝えてみたい。

もう僕はやり直しができないけれど、彼らは真っただ中だ。

自分が住む町が無くなったら困る。
できたら快適で残したい。
すでに快適さが低下し続けているけれど。
ここ、自分もかかわって向上したら面白いよな。

若い彼らに期待するのではない。
自分がこの町で快適に年をとっていくために自分が出来ることをやる。

同じ景色もフィルターを変えたら違ってみえる。
僕はフィルターになれるだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です