来店客を大切にしなくてはいけない、たった一つの理由

僕がいつも不思議に思うコト。
最安値の店舗や、ネットで便利に買物できるにもかかわらず
どうして面倒で安くもない店舗で買い物するお客がいるんだろう?

僕の店よりも安く、在庫も多く、技術もある店は沢山ある。
わずらわしい人間関係のないネット通販もあるのに。

人は日々忙しくなっていく。
便利な機械が当たり前になればなるほど忙しい。
それなのに、小さな路面店をわざわざ選んで来店してもらえる。
そう。わざわざ選んでもらっているんだよね。

いまや、小さな店にお客がやって来るのは奇跡なんだろう。

自分のお店にお客が来てくれたら嬉しい。
心から嬉しい。
だけど、その思いを伝えたことがあるだろうか?

声をかけたら嫌われる?嫌がられる?
そんなことはない。
自分が必要としないものを押し売りされたら嫌だけど
自分の存在を認めてくれて、起こした行動にお礼を言われるのは嬉しい。

僕の店じゃなくても良かった。
今日じゃなくても良かった。
家を出てから僕の店にくるまでにも誘惑はあっただろう。
それなのに来てくれた。

まずは来店して頂いて嬉しいと伝えよう。
嬉しいことが起こったんだから笑顔で伝えよう。
お客が何を思っているか?とか詮索するのはやめよう。
人対人として声をかけよう。

お天気が良いなか来てくれたら
「今日は良いお天気だから遊びに行かれる人が多い中で、当店に来て下さったありがとうございます」
雨が降っていたら
「雨で足元が悪い中、当店にお越しいただきありがとうございます」
そして、「嬉しいです」と伝えたい。

お客が来てくれるのは当たり前じゃない。奇跡なんだ。

自分がどうにも出来ないことが起こったら奇跡。
お客様を無理に引っ張ってくることはできないから、来店は奇跡。

来店客を大切にしなくちゃいけないのは、それが奇跡だから。

2018年3月13日、第一回目の勉強会で伝えたこと。
「お客様が店に来て下さるのは奇跡」
だから、自店では何をするか?しなくてはいけないか?
各自宿題にして解散しました。

地域貢献?商店街?そんな記号で本質を見失いたくない。地域と商店街が元気になる基本はひとつだけ。

僕が、地元をなんとかしたいと活動を始めると「地域貢献ですね」と言う人もいる。

僕は、そんなに出来た人間じゃない。
そもそも、地域貢献という言葉の意味が良くわからない。

地域貢献って記号にしか見えない。
暮らす人がいて地域になるのに、地域貢献といったとたんに人が見えなくなる。
同じように、商店街という言葉も記号に感じる。
そんな街はないのにね。
ただ色んな形態の、様々なやる気状態の店があるだけ。

暮らす人、一人一人が知り合って地域
営む店、一店一店がつながって商店街

だから、地域を元気にする、商店街を元気にする基本は一つだけだろう。

地域に暮らしている人が知り合えること
営む店がそれぞれ元気になること

いけてない町道一号線。でもさ、伊勢神宮の御神木が引かれていく道でもあるんだよ。神様が宿る木を育て切り出す町は、今朝もひっそり・・・

僕の地元は、店を営む人は同時に地域に暮らす人でもある。
この人たちを元気にするのは僕にとって大切なこと。

なぜならば・・・
この地元に暮らす僕の快適性が上がるから。

僕は、この付知町に住み続けたい。
不本意な部分もひっくるめて思い出が活きている町だから。
過去の思い出じゃなくて、まだ思い出が作られ続けているんだ。

今晩のおかず作りに美味しい食材が欲しい
子供が帰ってきた時に一緒に、地元定番の和菓子が食べたい
お客様が来た時に、ここに泊まってと勧める宿が欲しい
気の合う仲間と、ちょっと食べて飲める場所はいくつも欲しい
何かに困ったら電話一本でかけつけてくれる職人さんにもいてほしい

暮らしていると困り事が沢山でてくるから。
そして、知らなかったモノゴトも地元で知れたら便利じゃないか。

沢山の知恵をもっている人が住んでいるはずなのに、僕はそれをあまりにも知らない。

知る努力と、知ってもらう努力と、双方が必要だよね。
どうやって知るか、何を知らせるか。
まずは、ここの強化だ。
これが、僕が地元で快適に暮らしたい計画の第一歩になる。

この思いのために、地元勉強会を始めることになる。

町おこしって何だろう。誰もが同じ間違いをおかしてしまうのか?

町での商売は、後継ぎがいるか、いないか、で大きく変わる。

田舎の商売は自宅兼商店だったり、自宅兼工場だったりする。
そうすると、後継ぎがいないと、やがて無敵状態がやってくる。
「家賃なし年金あり」ってやつだ。

無敵になって後継ぎがいなかったら、何を無理する理由があろうか。
無いよな・・・

昔からの顧客と一緒に年をとり徐々に死んでいければいいさ。
だんだんと枯れていくように。

こうした、後継ぎなし層と、若い後継ぎ層は、どうしたって噛み合わない。

後継ぎの若い世代は、こう思っているんじゃないかな。
「どうして協力してくれる人がすくないのか」って。
熱く語っても、微妙な空気が残るばかりの話し合いとかさ。
人は未来に希望がもてなければ新しい取り組みはしない。
もう穏便に何事もなくフェイドアウトしたい状態の人には何をいってもむなしい。

数年前に後継ぎの若者たちが集まって「付知銀座会」活動を始めた。
補助金の後押しもあり、イベント開催などに取り組みだした。
その様子は、昔若かった商売人達には、心痛く見えたかもしれない。
少なくとも僕は「またか」と思ってしまった。

僕も若いころに、やっちゃった経験があるから。

店から出て、自店売上を作れないようなイベントに何の意味がある?
イベントに来たお客が、店内に入らないようなイベントは、店を殺していく。

彼らをバカにしているわけじゃない。
僕だって昔やって挫折した同じ道だ。
その道の先は行きどまりだよと言っても、彼らには意地悪にしか聞こえないだろから、言わなかったけれど。

どうして、いつも同じ間違いをしてしまうのか?
世代が変わっても同じなのはどうしてか。

その彼らと少し話をした。
付知銀座会は全部で5人だという。

え?5人?

・・・僕が取り組んでいた頃は、もっと人数がいた。
そうか、たった5人で、アレに立ち向かっているんだな。
あの、どうしようもない閉塞感と、見えない壁が壊せない苛立ちと。

嫁さんは他所からもらったから、この町に来て良かったって思ってほしいらしい。
冗談ではなく、結婚しても何もない町は嫌だと離婚になる話は実際にある。

・・・彼らの為に、僕は何か出来るだろうか?
僕が出来るのは、自分の体験からわかる商売の仕方を伝えることくらいだ。
自分の町を変えることをあきらめて、外で仕事をして分かったこともある。
住民から応援される店になれば、商売人が町を変えることが出来る。

多少なりとも年寄りに近い僕には、彼らが昔の僕に思えてきた。
彼らの活動に参加せず、外から見ていて、手詰まり感が見えてきた。
だったら、みんなで勉強会を始めようと誘ってみようか。
何かに取組んでいるときは、誰が何を言っても聞かないものだ。
それが分かるくらいには年を取った。
でも、商売はそれぞれが頑張るものだから、僕が何か出来るわけじゃない。
ただ、あの頃の自分に教えたいことを、彼らに伝えてみたい。

もう僕はやり直しができないけれど、彼らは真っただ中だ。

自分が住む町が無くなったら困る。
できたら快適で残したい。
すでに快適さが低下し続けているけれど。
ここ、自分もかかわって向上したら面白いよな。

若い彼らに期待するのではない。
自分がこの町で快適に年をとっていくために自分が出来ることをやる。

同じ景色もフィルターを変えたら違ってみえる。
僕はフィルターになれるだろうか。