付知町の築百年以上の家屋。これからリノベーションに入ります。

2月に覚悟をきめて新規事業の準備をはじめ
10か月後の12月に一つ目の物件を手にしました。
付知町に百年以上建っている三尾家です。
新築のころは土間が長く厩があり田の字型に作られた和室だった家屋です。

この家で三尾家は四代がすごし今は新しいお家に住んでみえます。
最近の14年間には借家人が五人代わり僕で6人目です。
大家さんである三尾さんのご厚意で、家の中は自由にリノベーションできます。

まずは、屋外にある汲み取り式トイレを、室内でシャワートイレにするために
水道やさんと一緒に現地下見をしてきました。

百年以上建っている、山の湿気、セメント瓦のための屋根の痛み
借家五人を経てのやっつけてきな補修などがかさなって
正直お家の状態はよくありません。
でも、家主さんの家を見るまなざしや説明から
「あぁ、このお家に思い出と愛着があるんだなぁ」と伝わってきます。

自分が定住するためなら、家一軒建て替えたほうが早いでしょう。
ですが、家にまつわる物語は、田舎に興味を持ってもらうには必須です。
百年以上前に、ここに家を建てようと思った人の気持ちになって物件をみたら
道から少し石組みしたほんの少し小高い見晴らしが気持ちよい。
後ろにある山に守られた安心感、竹やぶや紅葉、柿の木や植木
すり減った石段に、土間、厩後、ふろ場のタイルなど
生活の声が聞こえてきます。

文化財的な価値ではなく、人の物語的な価値。
普通の家族が、普通の暮らしを続けてきたおうち。
このお家で、田舎暮らしを体験したい人や
おばあちゃんちに遊びにいったみたいなのんびりした時間と
何もない退屈な時間とを過ごしてほしい。
ゲストハウスと、小さなカフェとで。

屋根瓦の状態が悪く
手を入れても屋根は手を入れられません。
おそらく10年ほどしか持たないでしょう。
それでも10年はこの家と挑戦してみたいのです。

最低限のリノベで10年はこの家を持たせて
10年の間に、僕らの田舎「付知町」に愛着を持つ人を
一人でも増やしてみたい。

ゲストハウスの名前が決まっていませんでしたが
「付知ばあちゃんち」に決めました。

昨日の縁側からの風景はこんなでした。

この田んぼに稲が植わる春には
あなたにも遊びに来てほしいです。
いっしょに小さな苗が植わった田んぼをながめお茶を飲みましょう。

これからリノベーションの様子を報告していきますね。

上手くいかない現象が、もっといい方法があると教えてくれる。

僕が付知町で新規事業を始めたいと思った理由はいくつかある。
その中の一つは、こんな理由。

「生まれ育った土地よりも
嫁に来てからの土地に住んだ年数の方が長くなった」

生まれ育った土地は愛着があるが
だんだんと足が遠のき
たまに訪れると街並みの変化の激しさに
よそ者感が押し寄せてくる。

自分の居場所が薄れていく感じ・・・
(人は所属したい生き物だよね)

生まれ育った街からは置いて行かれ
嫁に来た先のことはまだよく知らない。
これからの人生を生きていくのにどうする?
ふと、そう思った。

生きるのなら付知町だろうな。

そんな流れで付知町で新規事業に取り組む場所探しを始めた。

これが思ったより難関で。
でも難関だからよかったことが沢山ある。

今までだったら話しかけなかった人にも声をかけ
そうした人たちが次の人を紹介してくれる。
「あぁ。上手くいかなかったのは、もっと良い方法があるからか」
そう気づく。

普通に住んでいるだけでは気が付かないことに沢山出会えている。
声をかけて、すげない対応でも新鮮さを感じるほどに。
全ての人を満足させることはできず、私の思いなんて蹴飛ばされ続ける(笑)
それが面白い。

ひとところに住むということは
思い通りにならない連続ってことだ。
「一緒にやりましょうよ」と何人を誘ったら形になっていくのかな?
楽しそう、一緒にやろう、と返事してくれた人が集まったら形になるんだろうな。
記録しはじめようかしら?
僕の記憶力ではそろそろ危ぶまれる。
それほど断られるってことさ。

でも、楽しい。
「あら、これもダメか~」
となるたびに
「もっといい方法があるんだろうな~」
とワクワクしてしまうのだ。

肚をくくって二か月。
場所探しいまだ七転八倒。


付知町にある三角橋。人と狸専用の橋かな?なぜか愛着がわく。

来店客を大切にしなくてはいけない、たった一つの理由

僕がいつも不思議に思うコト。
最安値の店舗や、ネットで便利に買物できるにもかかわらず
どうして面倒で安くもない店舗で買い物するお客がいるんだろう?

僕の店よりも安く、在庫も多く、技術もある店は沢山ある。
わずらわしい人間関係のないネット通販もあるのに。

人は日々忙しくなっていく。
便利な機械が当たり前になればなるほど忙しい。
それなのに、小さな路面店をわざわざ選んで来店してもらえる。
そう。わざわざ選んでもらっているんだよね。

いまや、小さな店にお客がやって来るのは奇跡なんだろう。

自分のお店にお客が来てくれたら嬉しい。
心から嬉しい。
だけど、その思いを伝えたことがあるだろうか?

声をかけたら嫌われる?嫌がられる?
そんなことはない。
自分が必要としないものを押し売りされたら嫌だけど
自分の存在を認めてくれて、起こした行動にお礼を言われるのは嬉しい。

僕の店じゃなくても良かった。
今日じゃなくても良かった。
家を出てから僕の店にくるまでにも誘惑はあっただろう。
それなのに来てくれた。

まずは来店して頂いて嬉しいと伝えよう。
嬉しいことが起こったんだから笑顔で伝えよう。
お客が何を思っているか?とか詮索するのはやめよう。
人対人として声をかけよう。

お天気が良いなか来てくれたら
「今日は良いお天気だから遊びに行かれる人が多い中で、当店に来て下さったありがとうございます」
雨が降っていたら
「雨で足元が悪い中、当店にお越しいただきありがとうございます」
そして、「嬉しいです」と伝えたい。

お客が来てくれるのは当たり前じゃない。奇跡なんだ。

自分がどうにも出来ないことが起こったら奇跡。
お客様を無理に引っ張ってくることはできないから、来店は奇跡。

来店客を大切にしなくちゃいけないのは、それが奇跡だから。

2018年3月13日、第一回目の勉強会で伝えたこと。
「お客様が店に来て下さるのは奇跡」
だから、自店では何をするか?しなくてはいけないか?
各自宿題にして解散しました。

全ての商売技術が効果的になる、二種類の「三つの質問」

僕は地域住民を客とする店舗の売上をあげていく仕事をしている。

売上をあげると聞くと何を思い浮かべるだろうか。
トークで物を売りつける技術や、目をひきつけるPOP、最新のIT技術?
いやいや、店構えや商品力やSNSでの発信?
それとも、広告宣伝力や営業力?
ひょっとしたら・・・努力とか根性かも?
これら、売るために必要だといわれるノウハウもだけれど・・・

もっと必要なのは、店主と従業員の共感性なんだ。
必要というよりも、土台だね。

買物は手のひらの上でスマホで出来る時代で
僕が住んでいる過疎地にすら安さで地域を救うが社訓の安売り店が出店し
ヒトなんて買い物に必要なくなってきてるのが現状。

それでも、店舗のお客はゼロにはならない。
年寄りがITが苦手だからだろ?なんて思わないでほしい。
年寄りにはITがあてがわれるんだよね。
(ヒトをあてがうより安いからね)
子供や孫という強力なサポーターもいるし。
そもそも、魅力がない店にはITを使わない人だっていかないよね。

店舗にお客が来なくなったのはITのせい?
ITを効率よく利用するAIのせい?

違うよ。
店舗に魅力がなくなったからだよ。
誰かのせいじゃない、自分のせいだ。

人口が爆発的に増え続け、物が足りなかった時代。
その頃のまま変化していない店舗が多すぎるんだよね。
水から茹でられたカエルのように店舗の外の変化に気づかず
竜宮城から帰ったら何十年も経過していたみたいな。
人口が増え、物が足りない時は、売り子はだれでもよかったのさ。
何処で買おうと手に入ればよかったのさ。
誰よりも最新の物が、誰よりも安く手に入ったらヒーローだったのさ。

取り残されたのは自分のせい。
それなのに、まだ変化しようともしない店舗が多い。
いいさ、それでも自分が死ぬまでなんとか食べられればいいさ。
でも・・・後継者がいたら、それじゃダメだよね。

僕は日本全国に、この過疎地から出かけて行く。
そして、自分の町には手を出さずに他所の店舗を元気にする。
トンネルをいくつも抜けて出かけ、再びトンネルをくぐって帰ってくる。
トンネルをくぐるたびに景色が変わるんだよ。
田舎のトンネルは電波が飛んでないからwi-fiが使えない。
トンネルは竜宮城から帰ってくる海か・・・と思う。
終着駅からさらに30分、車を走らせ帰る道に街灯はない。

僕の住む町、付知町。
この町で商売を継ぐと決めた後継者を応援したい。
一番の応援は買物だけど、僕一人では支えきれないだろう。
まずは地元の人に買い物してもらえる店に変えるお手伝いをしよう。

トンネルをくぐって出かけた先の町でしていた仕事を
トンネルをくぐって帰ってくる町でもはじめよう。

なにもない僕の町、付知町。こんな見映えのしない風景が埋め尽くす。それでも都会から帰ってくるとホッとするんだよね。

出かけた先の仕事は頼まれ仕事だからお金をいただける。
でも、帰ってくる町の仕事は誰にも頼まれていないからお金を払ってくれる人はいない。
それでも、やりたい。
だって、自分が住む町だから。
年をとっていく自分が快適に暮らすための先行投資だね。

売上を上げていく土台は、店主と従業員の共感性さ。
相手を慮る(おもんばかる)力だ。

店頭で自分に三つの質問をしてみようよ。
1 お客様は何を思っているのかな?
2 お客様は何をしてあげると喜んでくれるかな?
3 お客様の役に立つにはどうしたらいいかな?
こうした考え方が全ての土台になっていく。

商売人は生き方が、その商売のやり方になるから。
ありかたが、やりかたになる。
ありかたという土台が弱くては、どんな技術を使っても効果はでない。

まずは、付知町の商売人の「ありかた」を育てなくては。
人を変えることはできない。
自分で変わって貰うしかない。

僕は、玉手箱になれるのか?

全ての商売技術が効果的になる三つの質問
1 あなたは何が出来る人?
2 あなたは何がしたいの?
3 あなたが今すぐやるべきことは?

僕の武器は母性なので(時々父性も使うけれど)
勉強会に参加してくれた商売人は、最終自立して進みだす。

地域貢献?商店街?そんな記号で本質を見失いたくない。地域と商店街が元気になる基本はひとつだけ。

僕が、地元をなんとかしたいと活動を始めると「地域貢献ですね」と言う人もいる。

僕は、そんなに出来た人間じゃない。
そもそも、地域貢献という言葉の意味が良くわからない。

地域貢献って記号にしか見えない。
暮らす人がいて地域になるのに、地域貢献といったとたんに人が見えなくなる。
同じように、商店街という言葉も記号に感じる。
そんな街はないのにね。
ただ色んな形態の、様々なやる気状態の店があるだけ。

暮らす人、一人一人が知り合って地域
営む店、一店一店がつながって商店街

だから、地域を元気にする、商店街を元気にする基本は一つだけだろう。

地域に暮らしている人が知り合えること
営む店がそれぞれ元気になること

いけてない町道一号線。でもさ、伊勢神宮の御神木が引かれていく道でもあるんだよ。神様が宿る木を育て切り出す町は、今朝もひっそり・・・

僕の地元は、店を営む人は同時に地域に暮らす人でもある。
この人たちを元気にするのは僕にとって大切なこと。

なぜならば・・・
この地元に暮らす僕の快適性が上がるから。

僕は、この付知町に住み続けたい。
不本意な部分もひっくるめて思い出が活きている町だから。
過去の思い出じゃなくて、まだ思い出が作られ続けているんだ。

今晩のおかず作りに美味しい食材が欲しい
子供が帰ってきた時に一緒に、地元定番の和菓子が食べたい
お客様が来た時に、ここに泊まってと勧める宿が欲しい
気の合う仲間と、ちょっと食べて飲める場所はいくつも欲しい
何かに困ったら電話一本でかけつけてくれる職人さんにもいてほしい

暮らしていると困り事が沢山でてくるから。
そして、知らなかったモノゴトも地元で知れたら便利じゃないか。

沢山の知恵をもっている人が住んでいるはずなのに、僕はそれをあまりにも知らない。

知る努力と、知ってもらう努力と、双方が必要だよね。
どうやって知るか、何を知らせるか。
まずは、ここの強化だ。
これが、僕が地元で快適に暮らしたい計画の第一歩になる。

この思いのために、地元勉強会を始めることになる。

都会から過疎地に人を呼ぶための、初めの一歩

僕は、住んでいる付知町では、よそ者だ。

結婚して初めて知った町。
結婚した相方が生れ育った町。

電車も廃線になった過疎地だけれど
僕の実家は、もっと山の中だったから便利な場所だと思った。
料理していて醤油が切れても走って買いに行ける街中だ。
(そうした店舗は恐ろしい勢いで閉店しているけれど)
隣近所の、子供が泣く声、親が叱る声なんかもつつぬけで
赤ちゃんが泣く声は、なんだか子育てに参加している気がする。
風呂洗いの音や、夕飯の支度の匂いが分かるくらいに集まって暮らす。

その分、隣との敷地境界線のもめごとや
買物して来た袋の中身まで詮索されたり
町内会の行事は絶対だったり
様々な役員が持ち回りでやってきたり。
窮屈なものだ。

こんな町で、すっかりくたびれた時計店を引き継いだ。
その大変さは、すっぱりと割愛してしまうが、この店を立て直した。
都会から視察に来る人まで現れて・・・ふと気づく。
この店をこれ以上大きくするとしたら、田舎の百貨店になるしかない。
仕入販売小売業で、人口は限られ減少している地域でキャパはすぐにオーバーしてしまった・・・

車で30分走れば、マスコミ宣伝している大手チェーン店が乱立する。
スマホで、手のひらの上で買い物すれば翌日には荷物が届く。
なんだかんだと活動している地元人のグループには、よそ者は入りにくい。
僕は酒も弱く、飲み会は苦痛でしかないし。

店の売上は伸びつつあったけれど
頭の片隅では、商売を伸ばす可能性を探り続けた。
部屋の隅っこに常に蜘蛛の巣がはっているような
とってもとってもぬぐえない、厄介な存在として。

可能性は二つだと思った。
一つは、自分が作っている店のノウハウをもって
立地や規模などそっくりな他所の田舎で同じ様な店を増やしていくこと。
(つまり、支店方式で田舎版チェーン店みたいな感じかな)
もう一つは、自店のノウハウを他店に教えに他所に出ていくこと。
(つまり、コンサルタント)

僕のノウハウは、地元客だけを客にするしかできなかったから。
都会から田舎に人を呼んでこれるものではなかったから。
仕入販売だけの弱さがつらかった。
自分で物が作り出せないのは、過疎地では特に弱さだった。
物流費用だけでも過疎地は経費がかかっているのだから。
かといって、インターネット販売なんて、仕入れ品は全世界がライバルになる。

だから他所に出ていくのが、僕の商売を伸ばす可能性になった。
そして、田舎版チェーン店は、大手チェーン店がさらに人口が減ったらやるだろうからやめた。
大手資本と対抗することは出来ない。

残るは、自分のノウハウをもって全国を旅することだった。
自信なんてないし、恐ろしいし、やったこともないし・・・
ただ一つのよりどころは「教えてほしい」という数人の人がいたことだけ。

机上論のコンサルタントではない。
人生も仕事もいっしょくたにしか生きられない商売人としての視点。
こんなんで食べて行けるだろうか?
付知町の店はどうするのか?
まずは店を続けながら、可能なことからやってみることにした。

ドキドキしながら「私のノウハウを買いませんか」と手紙を書いた。
名刺交換してもらった名刺をひっくり返して約90名に。
そのうち50名ほどが申し込んでいただき、その金額を元手に初めてHPを作った。
この感覚は、物売りだった僕には新鮮だった。
なんというか・・・藁しべ長者の昔話のようだと思った。

自分にとっては用済みだけど、世の中には欲しいといってくれる人がいる不思議。
自分が商品になる摩訶不思議。
仕入販売だけしていては気が付けなかった。

物事を作り出すことが出来れば、商圏は一気に広がる。

コンサルタントの仕事は地元には一切秘密ではじめた。
それは、自分の店のお客様には関係ないことだから。
でも、だんだんと秘密はばれていく。

田舎から都会に行くには、早朝まだ出ている星をみて走り、帰りは真夜中の星を見て帰るってこと。

同じ付知町に住む同年代の女性から、外に出ていく仕事なんてすごいと言われた。
僕には強い違和感のある言葉だけれど。
僕は外に出ていきたいわけじゃない、外から人を呼べるようになりたいんだ。

自分が何かひとつ成し遂げること。
それが、次のステップになるのが藁しべ長者だから。
いつになったら、付知町に人を呼べるようになるかと思いながら12年もたってしまった。
自分の人生残り時間を考えたら、そろそろはじめないと間に合わない。

都会から、この田舎「付知町」に人を呼んでも、消費する場所がなかったら意味がない。
だから、僕の地域おこしは「付知町にいまある店を強くすること」から始める。
地元の人が、大切なお客様が来た時に、連れて行きたい店になること。
ここからスタートしたい。

町おこしって何だろう。誰もが同じ間違いをおかしてしまうのか?

町での商売は、後継ぎがいるか、いないか、で大きく変わる。

田舎の商売は自宅兼商店だったり、自宅兼工場だったりする。
そうすると、後継ぎがいないと、やがて無敵状態がやってくる。
「家賃なし年金あり」ってやつだ。

無敵になって後継ぎがいなかったら、何を無理する理由があろうか。
無いよな・・・

昔からの顧客と一緒に年をとり徐々に死んでいければいいさ。
だんだんと枯れていくように。

こうした、後継ぎなし層と、若い後継ぎ層は、どうしたって噛み合わない。

後継ぎの若い世代は、こう思っているんじゃないかな。
「どうして協力してくれる人がすくないのか」って。
熱く語っても、微妙な空気が残るばかりの話し合いとかさ。
人は未来に希望がもてなければ新しい取り組みはしない。
もう穏便に何事もなくフェイドアウトしたい状態の人には何をいってもむなしい。

数年前に後継ぎの若者たちが集まって「付知銀座会」活動を始めた。
補助金の後押しもあり、イベント開催などに取り組みだした。
その様子は、昔若かった商売人達には、心痛く見えたかもしれない。
少なくとも僕は「またか」と思ってしまった。

僕も若いころに、やっちゃった経験があるから。

店から出て、自店売上を作れないようなイベントに何の意味がある?
イベントに来たお客が、店内に入らないようなイベントは、店を殺していく。

彼らをバカにしているわけじゃない。
僕だって昔やって挫折した同じ道だ。
その道の先は行きどまりだよと言っても、彼らには意地悪にしか聞こえないだろから、言わなかったけれど。

どうして、いつも同じ間違いをしてしまうのか?
世代が変わっても同じなのはどうしてか。

その彼らと少し話をした。
付知銀座会は全部で5人だという。

え?5人?

・・・僕が取り組んでいた頃は、もっと人数がいた。
そうか、たった5人で、アレに立ち向かっているんだな。
あの、どうしようもない閉塞感と、見えない壁が壊せない苛立ちと。

嫁さんは他所からもらったから、この町に来て良かったって思ってほしいらしい。
冗談ではなく、結婚しても何もない町は嫌だと離婚になる話は実際にある。

・・・彼らの為に、僕は何か出来るだろうか?
僕が出来るのは、自分の体験からわかる商売の仕方を伝えることくらいだ。
自分の町を変えることをあきらめて、外で仕事をして分かったこともある。
住民から応援される店になれば、商売人が町を変えることが出来る。

多少なりとも年寄りに近い僕には、彼らが昔の僕に思えてきた。
彼らの活動に参加せず、外から見ていて、手詰まり感が見えてきた。
だったら、みんなで勉強会を始めようと誘ってみようか。
何かに取組んでいるときは、誰が何を言っても聞かないものだ。
それが分かるくらいには年を取った。
でも、商売はそれぞれが頑張るものだから、僕が何か出来るわけじゃない。
ただ、あの頃の自分に教えたいことを、彼らに伝えてみたい。

もう僕はやり直しができないけれど、彼らは真っただ中だ。

自分が住む町が無くなったら困る。
できたら快適で残したい。
すでに快適さが低下し続けているけれど。
ここ、自分もかかわって向上したら面白いよな。

若い彼らに期待するのではない。
自分がこの町で快適に年をとっていくために自分が出来ることをやる。

同じ景色もフィルターを変えたら違ってみえる。
僕はフィルターになれるだろうか。

あの時の自分は、なんて嫌なヤツだったんだろう。商売の大前提すら知らなかった。

僕は、15年前にも付知町を憂ていた。

イベントの役員や、スタンプ会の役も熱心に取り組んだ。(つもり)
「町の危機には、みんなで取組まないと乗り越えられない」なんて信じていたんだ。

でも、現実は違った。
商売人は仲が悪い。

小さな小さな町なのに、ライバル店が協力するならオレはやらない、とかさ。

お客様が減っているのは、同じ町の同業のせいじゃなく
この町自体に魅力がなくなってるからなのに
ケンカしている場合じゃなくて、一緒に何かを始めないといけないのに。
そう思いながらイベントに取り組んでいた。

イベントってさ。最悪だよ。
自分の店をほっぽり出して、汗だして体力使って声もからしてさ。
一日どころか、準備に数日、片づけに一日、当日は店を閉めてお手伝い。
そして、お客様はイベント目当てだから自店の集客にはならない。
ご褒美は、打ち上げにバーベキュー焼きながら
偉そうなオッサンがしたり顔でする「昔はよかった話」だったりしてさ。

極めつけの一言をもらった。
「お前は仕入して店に並べているだけじゃないか。何も作れないクセに」
「商店なんて、町に何の貢献もしていないじゃないか」

ある日「あ~、何してんだろうな?」って思ったら・・・

営業日の真昼間だけどしるもんか!
重いシャッター地面にたたきつけて隣町のショッピングセンターへ逃げ出した。
エスカレーターは沢山のお客を運び吐き出し・・・
人の群れと流れを呆然と半日眺めた。

そして決めた。

「町のことなんてどうでもいい。自分だけ頑張ろう」

全ての役は断り、付き合いの悪いヤツになり、自分のことだけ考えた。
やがて、恐ろしい事実に気が付いたんだ。
僕は、町のためにという大義名分を使って本業から逃げていたことに。

自店の売上をあげるより、町のボランティアの方が楽だったから。
自店の売上も作れないくせに、イベント役員なら偉そうなことが言えたから。
自店のお客様をよく知りもせず、だからダメだと頭から決めつけていたことに。

ダメダメなのは僕自身だった・・・
そりゃ、お客様こないよな。当然売上もないさ。
恥ずかしかった。

力が欲しいと思った。
少年ジャンプの漫画の主人公みたいに。
でも、魔法はないからコツコツとやり直すことにした。

自分の武器はと考えたら?文字を書くことだけは好きだと気が付いた。
だから、チラシを書いて、ダイレクトメールを書いた。
書いて書いて書いた。
学生時代以来のペンダコを作り、商工会の印刷機をほぼ独占使用した。
自分を伝えだすと、応えてくれるお客様が現れ出した。

商売の大前提をやっとで知った。
「知らない店で買う方法はないし、知らない物を買う方法もない」

店の外に出るイベントにアレルギーになっていたので
店の中でやるイベントに取組んで売上につなげていった。

自分の店にお客様が来店して下さる。
問屋メーカーはじめ視察に来られる人は
「どこからお客様が湧いてくるんですか?」と言う。

この過疎地で、確かにお客様は湧くものかもしれない。
付知町の山が自然に清水を湧かせるように、お店もお客様を湧かせなくちゃいけない。
無理なく湧かせるには、自然体になること。

自分のこと、店のこと、商品のこと、技術のこと
まずは町の人にもう一度伝え直してみようと、いつも思い続けていたい。

脱AI同盟とは

岐阜県中津川市付知町(つけちちょう)
人口6千人
伊勢神宮の御神木を切り出す山を守る町
大正13年に福沢桃介氏が木の運搬の為に鉄道を引く
昭和53年に鉄道廃止

山に囲まれ
裾野が重なり合うふもとに
中部五色川の一つ、青川が流れる
少ない平地に小さな家が集まっている

人口も商売も縮小していくばかり。
なんとかしなくちゃ。
・・・でもどうしたらいいの?

建物とかイベントとかでその場しのぎも、もうお金がない。
どちらにしろ、いまさら都会の劣化コピーなど誰も求めていない。

じゃあ、どうする?

いまある物だけで、地元民にとっては当たり前の物で
都会から人が呼べる町に組み立てなおさなくちゃいけないんだ。

・・・遠いなぁ
できるのかそんなこと?

でも、やらなきゃ。
僕らの町がなくなってしまうのは悲しい。

このブログは、僕らの町が生き返っていくようすを書きたい。
確約された未来ではないけれど、挑戦せずに終わりたくはないから。

「脱AI同盟」とは「道具は使うが考えることは自分達でしよう!」
という意思表明である。